おいらーくブログ

27. 11月 2012 · 2 comments · Categories: 独り言

aidaさんのケアには、良い意味で困った人をほっておけない、口をださずにはおられないコテコテの関西人おばちゃんのにおいと行動力があります。

思いついたらもう行動しています。(もちろん、おっちょこちょいなところもいっぱいで、おじさんも閉口する時はありますが)

また、入居さんや職員と共に笑い・泣き・怒り・悲しむことをいつも精一杯体現します。

喜怒哀楽を絵に描いたように表現します。(ハイ)

では、事例を紹介します。(あまりにも膨大なレポートですので抜粋して掲載します:抜粋してもすごいボリュームですが。)

 ★私は施設ケアマネとして、平成22年~24年の2年間で「4名の看取り」を体験しました。

きっかけは、ホーム長が海外研修で不在中の事。訪問診療中の院長から「Eさんの看取り」を突然進められ「今のうららなら出来る」と何度も促されましたが、私達は混乱しました。

私は「ホーム長不在で即答はできません」と答えるのが精一杯でした。

その後、ホーム長と院長で話し合われ「看取り受入へ」と動き始めました。 

しかしEさんは間もなく病院で亡くなりました。

それから10か月の時が過ぎ・・・うららで初めての看取りを経験しました。

 

① Aさん、H22,12,<91歳 女性 要介護5 老衰> 

寝たきりで意識混迷の中でも、詩吟が好きで、息を引き取る前日まで、

十八番の「田原坂」を一緒に吟じて下さり、ご指導を頂いた事を思い出します。

② Bさん、H23,2, <96歳 女性 要介護4 老衰> 

重度の認知症でしたが、昔社長で、よく指示的な表現が聞かれましたが、

私達は、いつも演技者になりきって寄り添いました。

③ Cさん、H23,3, <94歳 男性 要介護3 老衰> 

消化器系末期癌と心臓は100%ペースメーカーに依存。激しい嘔気・嘔吐・呼吸苦のすさまじい苦痛の中で、積極的疼痛緩和ケア(麻薬使用など)が施されました。

更にペースメーカー電池交換時期を迎え、本人や家族が揺れ動く葛藤の中、最終的には電池交換はせず、業者にピッチ延長をお願いしました。

④ Dさん、H23,12, <86歳 女性 要介護5 虚血性腸炎> 

パーキンソン病の他、骨折や肺炎で何度も入退院を繰り返し、急激に機能低下。

更に大きな褥瘡ポケットで、全治10ヶ月に及ぶ治療に、勝利した時の感動は忘れられません。しかし間もなく精神的混乱、経口摂取困難、血液混じりの下痢などで衰弱が進み、最期は朝の申し送りの前、みんなが「おはよう」の挨拶に訪問していた最中に呼吸が停止。その顔は美しく安らかでした。

「具体的な方法を(Bさん)の事例で学びました。」

・長女の夫は医者で「終末期医療を積極的にしてきた反省から、母は自然な形がいい。ご迷惑でなければここで。」との希望で、私達は受入ました。

・主治医は「それではここでお看取りさせて頂きます。」と伝え、家族の希望で点滴を3日間で終了し、一切の摂食を止め「最終ステージ」へ向かいました。

・私は先ず「看取りケアプラン」を作成。ホーム長は「緊急連絡対応マニアル」を壁に貼りました。そして、皆で看取り体制に入りました。

「看取りが始まり・・・。」

・毎日各地からたくさんの家族や親戚が集まり、久しぶりの再会で想い出話しに花が咲き、部屋には温かい空気が流れていました。

・ご本人は深い眠りの中で、会話に入って、まるで喜んでいるかのように感じました。間もなく旅立つとは思えない程、その顔は、とても穏やかでした。

・点滴終了~3日後

・家族や職員の声掛けに、微かに反応しながら、

下顎呼吸の「ゴーゴー」と大きな寝息と共に、深い深い眠りに入っていかれました。

・私達にできることは、顔や口の中をやさしく拭き、皮膚や唇にワセリンを塗る。そして、やさしく見守り、寄り添うだけでした。

「主治医は毎日往診に来て下さいました。」

最期の日の往診で院長が、「Bさん、ちょっとだけ診せてね」と、声掛けすると、突然しっかりと目を開け、「うん、いいよ」と、太くてはっきりした声で応えました。そばにいた家族も私達もびっくりしました。

最期の一息の、5時間半前の事でした。

★「看取りケアプラン」・・・看取り宣告されたらすぐに作成します。内容は以下の通りです。

ケアプラン1表 ⇒ 主に、ニーズ要望、目標、サービスの内容、緊急連絡先

ケアプラン2表 ⇒ 長期・短期目標 (サービスの内容)

・状態変化時の対応方法、連絡先などを記入

・排泄・排便の観察、状態把握(看取りに入っていても排泄はある。)

・本人・家族の意向に沿って精神的な支えで、安らかな看取りを行う。

・細やかな記録で連携してケアをする。

・夜間は看護師と連携して対応。

・医療との連携で苦痛緩和の対応。

・旅立ちの準備を滞りなく支援。

・葬儀に備える家族支援を行う。

ケアプラン3表 ⇒ 日課計画表(毎日どのように関わるのかが書かれています。)

・頻回の訪室で状態確認(バイタルチェック、口腔ケア、皮膚ケア、体交、言 葉かけなど)他、急変時のスムーズな対応(家族、施設、医療の連携)

・随時実施するサービス:バイタル変動に一喜一憂せずに痛み苦痛の緩和、自然に看取っていく=穏やかに死を迎える為の介護を目指しましょう。

・ご家族様への丁寧な心遣いで、精神的な支援も意識しましょう。

緊急対応マニアルは、状況変化に応じて、何枚でも作り変えます。この時は2枚でした。・・・状況の変化に応じて何回でも書き換えて対応します。

施設支援経過(5表)⇒ 日々変化する経過を記録し、関係者との連携につなぎます。

※ ケアマネにとってこのシートは一番重要な位置を占めています。

No.1 看取り導入期からの葛藤や混乱を克明に記録

No.2 状況変化に応じて、何度でもカンファレンスが繰り返される

No.3 看取り宣言~疼痛緩和ケア~看取りケアプラン作成の経過が記されています。

No.4 本人が発した言葉も記録に残します。

 本人の不安や苦しさ、家族の揺れ動く葛藤などもリアルに記録しています。

 「先生苦しまない様に一番いい方法で頼むよ」→「分かった」と握手

 この頃、主治医は熟慮しながら、慎重に薬の調整をされていました。

 「疼痛緩和ケア」で死亡当日朝の11:50分、麻薬の量が2倍に

No.5 終末期は特に克明に時系列に記録しておき、呼吸停止時刻(22:48分)やその前後の様子を正確に主治医に伝え、主治医は家族に説明します。(情報共有)

No.6 終末期ケアは「死亡確認」後の、家族への支援も含まれます。

通夜には、職員や友人関係であった入居者様も参列し、お見送りをしまし

た。

緊急時の対応及び看取りに関する指針:介護付有料老人ホームうらら伏古(職員用)作成:内容は、考え方や対応方法、家族への支援などと共に「看取り同意書」も付いています。

No.1 入居から看取りまで

No.2  緊急時、夜間など連絡体制(異常時の対応)

No.3 高齢者の看取りの原点

ホームにおける看取りの考え方

日々の生活を快適に整えるケア

活動と睡眠のバランス(清拭ケア・排泄ケア・生活の環境作り)

No.4 高齢者のターミナル期に至るまでの様相

No.5 精神的変化と対処方法 <看取り数時間前>

No.6 (死後の処置) (死後硬直) (その他の処置) (検死)

        (死亡時の挨拶から、お見送りまで) (必要な事務手続き)

         (家族が行う手続き) (死亡宣告から)お見送りまで

No.7 (ターミナルケア:看取り同意書)

同意書については1回書いたら最期までではなく、気持ちの変化に応じて何度でも書き替える事は可能です。

(石飛先生は著書の中で)

 「人間はこうまで生きていなければならないのか、これまで幾多の苦難に耐え、それを乗り越えてきた人生、その果てにまたこのような、試練に耐えなければならないとは、何とも言えない理不尽な思いを感じた。」と語っていらっしゃいます。

 (職員の意識改革)

     形だけの人命尊重論に支配されない。

     それぞれの職種ごとに目標を再確認し、それぞれの仕事をする。

     できれば何もしないで「大往生」を、やさしく見守る。

※この言葉は、私の心を揺さぶりました。 

「終わりに」

<特定施設> 介護付有料老人ホーム 

⇒ 今後更に「終の棲家」としての役割を担う場所になるのでしょう。

私達には、入居から看取りを考え、個別ケアの中で、学ぶ姿勢が求められます。

 「うららに入居して幸せだった」と感じて頂けるように寄り添うケアと、温かい住まいを目指していきたいと思います。

 

有限会社 おいらーく O藤さんの紹介とその事例発表をここに掲載しようと思います。

O藤さんは、当社が最初に有料老人ホームを立ち上げた時の初代ホーム長として採用されました。当社は、約8年前介護付の有料老人ホームを東区で初めて開設しましたが、この業態のことは右も左もわかりません。

また、O藤さん自身ケアマネ資格を取ったばかりですし、それまでは病院で医療度の高い患者さんのお世話の仕事はしてきましたが、介護現場での実務はそれ程経験もありません。

しかし期するものがあったのでしょう。当時、58歳。

管理者としての見識、器みたいものをしっかり持っていたように思います。

秘めた原石とでもいうのでしょうか。(ちょっと秘めた原石のわりに遅咲き過ぎるきらいはありましたが)

その方が、民介協の事例発表した内容をご紹介します。

 

伝える~「手紙」(私はまた人間の心に戻れた!)

 

私は、平成○○年から おいらーくの住宅の管理者として勤務している。

入社以来、研修に参加して感じたことを、入居者様やご家族様に手紙でお伝えしている。

平成○○年の三好春樹先生の研修がきっかけだった。

初めは、パソコンで打ったが、手書きを勧められ、手書きで書きはじめた。

1枚の手紙を、職員と私とで書いた時期もある。

「いつも有難うございます」という家族様からの声が返ってきた。手紙を読んでくれているとわかった。

人事異動でその職場を離れたが、そこでは現在もこの手紙を続けている。

私は、平成○○年新規高齢者住宅のホーム長となった。11月は、「ご入居への感謝と一緒に楽しい温かい住まいを」との挨拶文を同封。この住宅は、住宅での介護業務はなく、手紙もここでは必要がないと思っていた。ただ、20年12月は、家賃等の引落不能の連絡と、年末であった為、「来る21年がよいお年となりますように」と手紙を書いた。だから1月は、手紙を書かなかった。すると、入居の方々から会うたびに手紙が入っていないと言われた。その時、手紙を待っている方がいるとわかり、翌月から、再び書き始めた。

1年ほど経過したある日、入居の方が「幸福を運ぶ手紙」と書いて事務所に来た。筆で書いてほしいと言われ、筆ペンで書くと、毎月の手紙をファイルしていて、その表紙にすると言った。ファイルしていることに、大変ビックリした。私は、介護の現場に直接係わっていないが、いつの間にかこの手紙は、お客様と私をつなぐパイプ役になっていた。 

昨年8月、当社グループのフォーラムでの感動を、手紙にした。

樋口了一さんの歌との出会いがあった。

「手紙」という詩は知っていたが、歌(メロディー)とともに 語られる言葉の一つ一つが私の心に沁みこんできて、聴いていて涙が出て止まらなかった。私は、その感じたままを 手紙に書いた。

『歌のもつ「力」は、本当に素晴らしい。この感動を独り占めにはできない。

樋口さんのCDを買って”○○の皆様へ”とサインをいただいた。今月は、このサインと「手紙」の詩を皆様に贈る。CDをご希望の方は、私のところまでお越しください。一緒に涙を流してみませんか・・・』

それから間もなく。Aさんから、素晴らしいお手紙を有難うと声をかけられた。

「私は人間じゃないとずっと思っていた。高校生だった孫が不治の病にかかり突然死んだ時、自分より先に孫が逝くなんて本当に信じられず、悲しくて泣いた。すると次は、まさかと思っていた娘婿に死なれた。・・中略・・・本当にいろいろなことがあり、涙も枯れ果てて涙を流すことなどもうない! と思っていた。ところが、この「手紙」の詩を読んでいだら、知らぬ間に、涙があふれ出てきて止まらなくなった・・・

その時思わず、あぁ!私はまた人間の心に戻れた!と思って嬉しくなった・。」

お客様は、いろいろな形でのコミュニケーションの場を求めていると強く感じている。

これからも、手紙を通して心のキャッチボールを続けていきたい。

 

当社は、人と人の出会いを大切していこうと思っています。また、採用時に履歴書や年齢だけでは絶対判断しないとも考えております。

このような事がたくさんあるからです。

おじさん、11月21日(水)札幌エルプラザで開催された民介協北海道第3回事例発表会にいってきました。

民介協とは、正式には『民間事業者の質を高める』一般社団法人 全国介護事業者協議会といいます。

この発表会の趣旨は下記のとおりです。

民介協北海道支部 第3回事例発表会のご案内

拝啓 秋冷の候、ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。

平素は当協議会の運営にご協力を賜り厚く御礼申し上げます。

このたび、民介協北海道支部では下記の通り「第3回事例発表会」を開催する運びとなりました。全国大会の地区予選を兼ねており、優秀作2例を選出し来年2月に東京で開催される全国大会へ送り出します。

会員から募集した介護現場での事例を多数発表いたします。貴社のサービス提供に参考になると思いますので、現場で働く多くの職員の皆さまにご参加賜りますようお願い申し上げます。     敬具

会場の様子

当社の発表事例は、以下の3例です。 

○うらら伏古 aidaさんの事例発表 「看取り実践レポート」

○CoCo東雁来 O藤さんの事例発表 「伝える~手紙~」

○総務部の中Tさん事例発表 「介護事業所における販促活動~夢のみずうみ村てんやわんや本町のマーケティング~」です。(事例の詳細は、これからのブログで紹介してゆきます)

その中で、aidaさんの事例発表「看取り実践レポート」が見事優秀作に選ばれ、全国大会で発表する運びとなりました。

当社これで、4年連続の選出となりました。
おじさん、当社の事例が選ばれることはとても喜ばしいのですが、何よりも普段から当社が目指すケアの実践の評価であり、発表者もその中で自分のやるべき仕事を自覚し行動し当社代表として望んだ姿です。

この4年、当社はケアでも色々な分野で事例を報告させていただきました。

○事業所内通貨「どんぐりマネー」での生活リハビリを活性化した取り組み

○高齢な方への食のあるべき姿を模索し続けた「食の改善委員会」の取り組み

○当社デイサービス合同で実施した運動会の企画と運営を若い職員が任され責任感に葛藤しつつも「やらされるから」→「やり遂げたい」への心の高揚と達成感を感じた事例

○そして、看取りをとおして、人間の死への尊厳と職員の成長を描いた今回の実践レポート

すべて一人の力ではできないことで、連帯感と多職種協働の理念で利用者さん入居者さんを支えて絆をつくろという思いです。

介護に満点はありません、常に

前田一歩の言葉『自分はいつもかう思う、今が大事な時だ もう一歩』

忘れず、おじさんもついていきます。(後ろからですみません)